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飛鳥寺

久しぶりに飛鳥寺へ行きました。
この飛鳥寺(日本 最古の本格的寺院でもある法興寺の後身である。)の西門のあたりで、中大兄皇子と藤原の鎌足が初めて出会ってのです。

打毬で、中大兄皇子の皮鞋が脱げたのを鎌子が拾って中大兄皇子へ捧げた。これが縁となって二人は親しむようになったと言われています。
それが、後に大化の改新につながるのですよね。


飛鳥寺


ここの大仏は日本で初めて作られた大仏です。
当時は緊迫も貼ってあり今よりもずーっと豪華だったそうです。
建物が火災にあい、ここの大仏様が雨ざらしの目にあったこともあったそうです。
でも、どんなときでも人々の信仰の対象であったのだそうです。
私も思わずそっと、手を合わせていました。
今年は、『飛鳥大仏開眼千四百年記念』の年なのだそうです。

大仏開眼


時の最高権力者も、高僧も、庶民もみなこの大仏様の前では平等です。
中大兄皇子、鎌足、入鹿、額田王、みなこの場所で座り手を合わせたのでしょうね。


この飛鳥寺の奥に、入鹿首塚があります。
乙巳の変で、中大兄皇子に首を切られた入鹿の首が恐ろしい形相でにらみつけながら、飛鳥板蓋宮から、ここ飛鳥寺まで転がってきたとの伝承があります。
写真は、飛鳥板蓋宮の方角を写していますが、あんな所から転げてきたのですね。

入鹿首塚



さて、ここから飛鳥板蓋宮を通って、石舞台まで歩きます。
この道は素敵です、蓮華かこんなにきれいです。



蓮華畑


ところで、この日は飛鳥寺の横のお店で以前から買いたかった『飛鳥の蘇』を買いました。

『飛鳥の蘇』は牛乳から作った幻の乳製品なのです。
しぼりたての生乳をこげつかさないように7~8時間火にかけ、水分を取ると赤みを帯びたベージュ色の塊ができます。
枠に入れ冷やし固めたものが『飛鳥の蘇』なのです。


皆さんは『醍醐味』という言葉を聞いたことがありますか。
意味は、一般に物事の本当の面白さ、深い味わいなどですが、この『蘇』を煮詰めたものを『醍醐』と言ったのだそうです。


飛鳥の蘇

古代では誰もがこれを口にすることはできませんでした。
貴族や高級官人など『日本書記』の主人公が賓客を迎える夕べの宴をいろどったものでしょうし、貴婦人の美容と滋味でもありました。
高貴な人々が病に臥すと、薬草とともに蘇の効力にも頼ったのでしょう。
つまり蘇は超高級食料でしたが同時に美容と不老長寿の効果も期待されました。良薬口に甘しです。
したがって黄色の断片は庶民にとっては夢の食品であったのだそうです。


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万葉の時代、飛鳥は日本の首都でした。
新益京と呼ばれた藤原京は新しく国家体制もでき、活気にあふれていました。
7世紀の末の文武天皇の時、天香具山の南では、飛鳥最大の大官大寺が建設されつつありました。このころ蘇が作られた記録があります。
蘇はゆっくりと特殊な方法で煮詰めたチーズの仲間ですが、すでに人々は牛、馬を食べていましたから、貴族のあいだではもう少し前から、この妙なる味が知られていたことでしょう。

おそらく中央アジアの草原のパオの中で生まれた美味な固形物であった蘇は遥かシルクロードを通り、飛鳥の都へ伝わってきたのです。当時の飛鳥には多くの(一説には人口の7割)異国人(大陸人)が住んでおり彼等がその製法をつたえたのでしょう。

ここには高松塚壁画のような人々がいましたが、誰もが蘇を口にすることができたわけではありません。貴族や高級官人など『日本書記』の主人公が賓客を迎える夕べの宴をいろどったものでしょうし、貴婦人の美容と滋味でもありました。 高貴な人々が病に臥すと、薬草とともに蘇の効力にも頼ったのでしょう。つまり蘇は超高級食料でしたが同時に美容と不老長寿の効果も期待されました。良薬口に甘しです。
したがって黄色の断片は庶民にとっては夢の食品でありました。




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